業界分析|量子技術産業(総論)
量子技術は、近年各国政府が重点投資を進めている先端技術分野の一つです。
従来のIT産業とは異なり、量子技術は単一の産業ではなく、複数の技術産業によって構成されるエコシステムとして形成されています。
本記事では、量子産業の全体像を整理し、後続の記事で扱う個別産業(量子コンピュータ、量子装置、量子ソフト、量子通信、量子センサー)の位置づけを理解するための基礎情報を整理します。
第0章|この総論記事の位置づけ
量子技術産業は、以下の特徴を持つ産業群です。
- 国家政策主導で研究投資が行われている
- 研究機関・大学が重要な役割を持つ
- 軍事・安全保障と密接に関係する
- 技術方式が複数存在する
本記事では
- 技術の概要
- 世界の政策動向
- 市場規模
- 企業構造
を整理し、量子産業の外部環境の全体像を把握することを目的とします。
第1章|量子技術とは何か
量子技術とは、量子力学の原理を応用した情報処理・通信・計測技術の総称です。
従来のコンピュータは「ビット(0または1)」で情報を扱いますが、量子コンピュータは「量子ビット(qubit)」を使用します。量子ビットは重ね合わせや量子もつれといった量子力学的現象を利用するため、特定の計算問題において従来のコンピュータとは異なる計算方法を実現します。
現在の量子計算方式は主に以下の二つの潮流に分類されます。
- 量子ゲート方式(汎用量子計算を目指す方式)
- 量子アニーリング方式(最適化問題など特定用途向け)
量子コンピュータは、既存のコンピュータを完全に置き換えるものではなく、特定の問題に対して古典コンピュータと組み合わせて利用される技術として研究が進められています。
第2章|量子産業の成立背景
量子情報科学の研究は1980年代から進められてきました。
代表的な研究成果として以下が知られています。
- ショアのアルゴリズム(1994年)
- グローバーの探索アルゴリズム(1996年)
これらの研究は、量子コンピュータが特定の問題において従来計算機よりも効率的な計算を行う可能性を示しました。
2010年代に入り、IT企業や研究機関による量子コンピュータの試作機開発が進み、産業化に向けた研究開発投資が拡大しました。
第3章|世界の量子政策
量子技術は各国の国家戦略技術として位置付けられています。
米国
2018年
National Quantum Initiative Act
政府研究投資
約38億ドル
欧州
Quantum Flagship
研究投資
約10億ユーロ
中国
量子研究投資
推定150億ドル以上
日本
量子技術イノベーション戦略(2018)
量子関連の政府予算は近年
年間約1,000〜1,200億円規模で推移しています。
政府は
- 2030年までに量子技術利用者1000万人
- 量子関連産業の生産額50兆円規模
といった目標を掲げています。
日本では、理化学研究所、東京大学、産業技術総合研究所などが量子研究拠点として位置付けられています。
第4章|量子産業の市場規模
量子関連市場は現在、研究開発投資を中心として形成されています。
世界の量子関連市場
2024年
約150〜200億ドル
2030年
約600〜900億ドル(複数調査機関推計)
量子産業では、民間売上よりも政府研究投資が市場形成に大きく影響しています。
また現在の量子計算機は NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum) と呼ばれる段階にあり、量子ビットのノイズやエラーの問題が技術的制約となっています。
そのため業界では、量子エラー訂正を実装した FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computing) の実現に向けた研究開発が進められています。
第5章|量子産業マップ
量子技術産業は主に以下の5つの分野で構成されています。
①量子コンピュータ
量子ビットを用いた計算機の開発。
主な企業
- IBM
- IonQ
- Rigetti
- Quantinuum
- 富士通
量子計算の研究開発では、量子ハードウェアだけでなく
GPUを用いた量子シミュレーション基盤を提供する NVIDIA も重要なプレイヤーとなっています。
②量子装置
量子コンピュータを制御するための装置産業。
主な装置
- 希釈冷凍機
- レーザー装置
- 制御電子回路
主な企業
- Bluefors
- Oxford Instruments
- Keysight
- 日本電子
- 横河電機
- アドバンテスト
- 浜松ホトニクス
浜松ホトニクスは光検出技術や光センサ分野で高い世界シェアを持ち、光量子計算や量子センサー分野で重要な装置メーカーとされています。
③量子ソフト
量子コンピュータ用ソフトウェア。
主な企業
- QC Ware
- Zapata AI
- Classiq
- QunaSys
④量子通信
量子暗号通信などの通信技術。
主な企業
- 東芝
- NTT
- ID Quantique
- QuantumCTek
⑤量子センサー
量子効果を利用した高精度測定装置。
主な用途
- 重力計
- 原子時計
- 測位技術
主な企業
- Muquans
- Qnami
- NEC
- 日立
第6章|量子産業の企業構造
量子産業では以下の主体が主要プレイヤーとなっています。
- IT企業
- 研究機関
- 大学
- 計測装置メーカー
- ディープテックスタートアップ
研究機関と企業の共同研究が産業形成の中心となっています。
第7章|量子技術と経済安全保障
量子技術は軍民両用技術(デュアルユース)とされています。
代表的な安全保障関連用途
- 暗号解読
- 量子暗号通信
- 量子レーダー
- 高精度センサー
また、量子コンピュータによる暗号解読の可能性に対応するため、
米国国立標準技術研究所(NIST)を中心に 耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography: PQC) の標準化が進められています。
PQCは将来の量子計算機時代に対応するための暗号方式として、世界のITインフラに影響を与える技術分野とされています。
第8章|量子産業の特徴
量子産業の外部環境の特徴は以下の通りです。
- 政策主導の研究投資産業
- 民間市場は形成途上
- 研究人材がボトルネック
- 国家安全保障と強く関連
第9章|次に読むべき産業分析
量子技術産業は次の5分野で構成されています。
今後の記事では、各産業について
外部環境 → 内部環境
の順で分析します。
- 量子コンピュータ
- 量子装置
- 量子ソフト
- 量子通信
- 量子センサー
出典
内閣府 量子技術イノベーション戦略
経済産業省 量子未来産業創出戦略
McKinsey Quantum Technology Report
BCG Quantum Computing Market Report
NIST Post-Quantum Cryptography Standardization