第0章|この外部環境編の立ち位置
本レポートで扱う「製薬業界」は、単一の産業ではありません。
実態としては、以下の性質の異なる3つの領域の集合体として成立しています。
- ① 創薬・研究(R&D):成功確率が極端に低い研究開発型産業
- ② 製造・供給(CMC・工場):品質と安定供給を前提とする装置産業
- ③ 販売・流通(MR・薬価・卸):公的制度により価格と流通が規定される制度産業
本稿ではこのうち、① 創薬・研究(R&D)領域に限定し、
制度・市場・マクロといった外部環境を、評価を交えず事実ベースで整理します。
本レポートで扱うこと
- 変えられない前提条件の明示
- 数字と制度事実による説明
本レポートで扱わないこと
- 将来予測
- 儲かる/厳しいといった評価
- 経営戦略・キャリアへの言及
判断は、次の資料に委ねます。
第1章|市場規模と成長の実態(定量)
創薬・研究(R&D)領域における市場規模は、完成品としての医薬品売上とは一致しません。
ここでは「研究開発活動としての規模」を中心に整理します。
- 日本の製薬企業による研究開発費総額:年間 約3.5〜4兆円規模
- 売上高に占める研究開発費比率:15〜20%前後
- 過去10年で研究開発費は緩やかな増加傾向
一方で、創薬R&Dの特徴として、成功確率の極端な低さがあります。
一般に、基礎研究段階の候補物質が最終的に医薬品として承認される確率は、
約1/30,000程度とも言われています。
これは、以下のような**「創薬のじょうご(ファンネル)」構造**によるものです。
- 基礎研究
- 非臨床試験
- 臨床試験 Phase1
- 臨床試験 Phase2
- 臨床試験 Phase3
- 承認申請・承認
各フェーズで一定割合が脱落するため、
研究開発費の増加は、そのまま成果の増加を意味しません。
第2章|制度・政策との関係性(P)
創薬・研究(R&D)領域は、制度と間接的かつ強固に結びついた領域です。
主な制度的前提は以下の通りです。
- 医薬品承認制度(PMDAによる審査)
- 臨床試験に関する各種ガイドライン
- 特許制度(物質特許・用途特許など)
特許制度は、創薬R&Dの外部環境を規定する最も強力な時間軸制約の一つです。
特許によって一定期間の独占が保証される一方、
特許期間の満了(いわゆるパテント・クリフ)とともに、収益性は急激に低下します。
このため製薬企業は、
- 現在の主力製品の特許満了
- 次世代パイプラインの供給時期
という時間軸を常に意識した研究開発を迫られます。
これは、制度によって生じる構造的な時間的制約と言えます。
第3章|経済的前提条件(E)
創薬・研究(R&D)領域の経済的前提は、他産業と大きく異なります。
- 研究開発費の大半は回収不能リスクを伴う固定費です
- 成功確率は極めて低く、多くの案件が途中で終了します
- 開発期間は10〜15年以上に及ぶケースが一般的です
いわゆる「死の谷」と呼ばれる段階が、
非臨床試験から臨床試験に進む過程、
およびPhase2〜Phase3にかけて存在します。
この段階では、
- 投下コストは増加する
- 成功確率は依然として低い
という状況が同時に進行します。
研究段階では価格決定権は存在せず、
将来の薬価は承認後に制度的に決定されるため、
研究開発段階で収益を前提とした設計はできません。
インフレや人件費上昇は、
研究人材確保コストや外部委託費の上昇として、
一方的にコスト側へ作用します。
第4章|社会・人口動態の影響(S)
創薬・研究(R&D)領域は、社会・人口動態の影響を間接的に受けます。
需要側では、
- 高齢化の進行
- 慢性疾患・希少疾患への関心の高まり
が研究テーマ選定に影響を与えてきました。
一方、供給側では、
- 高度専門人材(研究者、統計、薬事)の不足
- 人材の国際的な獲得競争
が続いています。
研究人材の育成には長期を要するため、
短期的な労働供給調整は困難です。
第5章|技術・DXの位置づけ(T)
創薬・研究(R&D)領域における技術・DXは、
代替ではなく補助として位置づけられます。
近年の特徴として、
創薬のモダリティが多様化している点が挙げられます。
- 従来:低分子(化学合成)中心
- 現在:バイオ医薬品、抗体医薬、遺伝子・細胞治療など
創薬対象が複雑化したことで、
- 生物学的プロセスへの理解
- 高度なバイオテクノロジー
- 異分野融合的な研究体制
といった新たな前提条件が加わっています。
AIやデータ解析技術は、
候補探索や初期段階の効率化には寄与しますが、
創薬全体の不確実性を根本的に解消する段階には至っていません。
第6章|参入・撤退の制約(L)
創薬・研究(R&D)領域への参入障壁は極めて高いです。
- 制度・規制理解の複雑性
- 初期投資額は数百億円規模に及ぶ可能性
- 成果が出るまでの期間が非常に長い
研究開発は途中で中止できますが、
投下済みコストの回収はほぼ不可能です。
新規参入は、
- 大手製薬企業
- 資本力を持つバイオベンチャー
に限定される傾向が続いています。
第7章|外部環境の整理
- 創薬・研究(R&D)は、成功確率が極端に低い研究開発型産業です
- 「死の谷」と呼ばれる高リスク段階が構造的に存在します
- 特許制度とパテント・クリフが時間軸の制約として作用します
- 固定費比率が高く、研究段階で価格設計はできません
- 技術は補助的であり、不確実性そのものを解消するものではありません
本稿では、評価や結論は行いません。
第8章|次におすすめの資料
外部環境が業界内部でどのような歪みとして現れるかは、
次の「内部環境編」(業界分析|製薬業界(創薬・研究〈R&D〉編)内部環境分析)で扱います。
出典 厚生労働省「医薬品産業ビジョン」「医薬品産業を取り巻く現状」 厚生労働省「薬事行政・承認審査(PMDA)に関する公開資料」 医薬品医療機器総合機構(PMDA)公開資料 日本製薬工業協会(JPMA)「DATA BOOK」「製薬産業の現状」 文部科学省「ライフサイエンス・バイオテクノロジー政策資料」 Tufts Center for the Study of Drug Development (創薬成功確率・開発期間・開発コストに関する統計) PhRMA(Pharmaceutical Research and Manufacturers of America) 「Drug Discovery and Development Process」 OECD「Pharmaceutical Industry and Health Innovation」 EvaluatePharma 各種業界レポート Nature Reviews Drug Discovery (創薬成功確率、Attrition Rate、モダリティ動向に関する論文)