前回のLillyは、自社でスーパーコンピュータを建て、モデルを無償開放しました。 AstraZenecaは正反対です。データを持つ企業に対価を払い、外部と組む。 第5回で扱ったTempus AIへの2億ドル契約が、その象徴です。 2026年7月27日発表のQ2決算実績から、この戦略の違いを検証します。
AstraZenecaは1913年創業(現社名は1999年から)、英ケンブリッジ拠点。 オンコロジー、循環器・腎・代謝(CVRM)、呼吸器・免疫(R&I)、 ワクチン・免疫療法(V&I)、希少疾患という5つの疾患領域で事業を展開しています。
同社が掲げる最大の目標は、2030年に総収益800億ドルです。 2026年H1の総収益が306億7,200万ドルですから、年換算で約613億ドル。 4年で約30%の成長が必要になる計算です(編集部試算)。
| 指標(百万ドル) | H1 2026 | 実質増減 | CER増減 | Q2 2026 | 実質増減 | CER増減 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 製品売上 | 28,896 | +8% | +5% | 14,510 | +5% | +4% |
| アライアンス収益 | 1,699 | +31% | +29% | 874 | +34% | +33% |
| 製品収益 | 30,595 | +9% | +6% | 15,384 | +6% | +5% |
| コラボレーション収益 | 77 | ▲6% | ▲9% | — | ― | ― |
| 総収益 | 30,672 | +9% | +6% | 15,384 | +6% | +5% |
| Reported EPS(ドル) | 3.60 | +4% | +3% | 1.61 | +2% | ▲2% |
| Core EPS(ドル) | 5.21 | +12% | +11% | 2.63 | +21% | +18% |
出典:AstraZeneca H1・Q2 2026決算発表(2026年7月27日)。CERは為替中立ベース。
経営陣は、FarxigaとBrilintaを除いた基礎的な売上は11%成長したと説明しています。 つまり特許切れ製品の減少を除けば、事業の成長率は2桁だということです。
注目すべきはアライアンス収益が+34%と高い伸びを示している点です。 これは提携先と共同で販売する製品からの収益で、 AstraZenecaが外部との協業を通じて成長していることを数字で示しています。 第④章で見るAI戦略とも通じる特徴です。
Q2の重要な動きとして、経口GLP-1候補elecoglipronについて 6本の第III相試験を開始しました。肥満症と2型糖尿病が対象です。
これは前回のLilly、そしてNovo Nordiskが支配する市場への挑戦にあたります。 Lillyが既にMounjaro 99億ドル、Zepbound 49億ドルを四半期で計上していることを考えると、 AstraZenecaは大きく出遅れた位置から参入することになります。
もう一つ、呼吸器領域のtozorakimabについて、 ピーク時売上予想を従来の30億ドルから50億ドル超へ引き上げました。
AstraZenecaの規制環境は、Lillyとも、これまでの7社とも異なる特徴を持ちます。 中国が第2の市場であるという点です。
Q2の中国売上は13%減少しました。 要因は後発品との競争と政策変更、具体的には量産調達(VBP、volume-based procurement)です。 これは中国政府が医薬品を大量一括購入する代わりに大幅な値下げを求める制度で、 対象になった製品の単価は大きく下がります。
2025年Q4決算以降、主要地域で30件の承認を取得しました。 Q2までの主な承認は以下です。
| 薬剤 | 試験・適応 | 結果 |
|---|---|---|
| Imfinzi | VOLGA ― シスプラチン不適格の筋層浸潤性膀胱がん | 主要評価項目達成 |
| Imfinzi | NILE ― 一次治療膀胱がん | 主要評価項目達成 |
| Imfinzi | EMERALD-2 ― 術後補助療法 肝細胞がん | 未達成 |
| Wainua | CARDIO-TTRansform ― ATTR心筋症 | 未達成 |
| Ultomiris | TMA-313 ― 成人HSCT関連血栓性微小血管症 | 未達成 |
| Ultomiris | ALXN1210-MG-319 ― 小児全身型重症筋無力症 | 主要評価項目達成 |
3部作で確認したとおり、2026年時点でAI創薬由来のFDA承認薬はゼロです。 AstraZenecaの30件の承認も、AIが直接生み出したものではありません。 ただし第④章で見るとおり、 同社はAIを「どの試験を進めるか」の判断に使おうとしています。 6本中3本が未達だったという事実は、その必要性を裏付けるものでもあります。
| 指標 | Reported(百万ドル) | Reported増減(実質/CER) | Core(百万ドル) | Core増減(実質/CER) |
|---|---|---|---|---|
| 製品収益 | 15,384 | +6% / +5% | 15,384 | +6% / +5% |
| 総収益 | 15,384 | +6% / +5% | 15,384 | +6% / +5% |
| 売上総利益率 | 84% | +1pp | 84% | +1pp / +1pp |
| 研究開発費 | 4,053 | +14% / +13% | 3,662 | +6% / +5% |
| 販売費・一般管理費 | 5,651 | +16% / +14% | 4,050 | +7% / +4% |
| 営業利益 | 3,164 | ▲10% / ▲13% | 5,158 | +12% / +10% |
| 営業利益率 | 21% | ▲4pp | 34% | +2pp |
| 税率 | 10% | ▲11pp | 15% | ▲6pp |
| EPS(ドル) | 1.61 | +2% / ▲2% | 2.63 | +21% / +18% |
出典:AstraZeneca H1・Q2 2026決算発表(2026年7月27日)。CoreとReportedの差は主に無形資産の償却、減損、法的和解、リストラ費用によるもの。
GAAP/Non-GAAP、Reported/Coreの乖離は、本シリーズで何度も出てきました。
| 企業 | 乖離の内容 | 正体 |
|---|---|---|
| Schrödinger(第2回) | 営業損失▲4,155万ドルなのに純利益598万ドル | Ajax買収に伴う株式評価益(非現金) |
| Tempus AI(第5回) | 営業損失▲7,591万ドルなのに純利益564万ドル | 株式の未実現評価益9,850万ドル(非現金) |
| Illumina(第6回) | GAAP EPS減・Non-GAAP EPS増 | 戦略投資の評価損益 |
| Eli Lilly(第8回) | EPSガイダンス上限を引き下げ | 取得IPR&D費用3.03ドル |
| AstraZeneca(本記事) | Reported営業利益▲10%・Core営業利益+12% | 無形資産償却、減損、法的和解、リストラ費用 |
本シリーズを通じて最も重要な教訓の一つは、 「見出しの利益数字を、その中身を確認せずに読まない」ということです。 AstraZenecaのケースでは、Coreベースの調整が 買収由来の償却という継続的に発生する項目を含む点に注意が必要です。
H1のCore R&D費用は6%増加し、売上の23%に相当します。
| 企業 | R&D費/売上高 |
|---|---|
| AstraZeneca | 23%(H1 Core) |
| Eli Lilly | 17%(Q2) |
| Illumina | 約21.7%(Q2、編集部計算) |
LillyよりR&D比率が高いのは、 売上規模が小さいうえに、後期パイプラインが厚いためです。 「今後18か月で20件超の高価値な読み出し」という表現は、 この投資水準の裏付けでもあります。
中間配当は3セント引き上げられ、1株1.06ドル(79.5ペンス、10.32スウェーデンクローナ)となりました。 Lillyが1株1.73ドル(+15%)だったのと比べると増配ペースは緩やかですが、 成長率の差を考えれば整合的です。
本記事の中心はここです。 前回のLillyと比較すると、AI戦略の思想がまったく異なります。
| 観点 | Eli Lilly(第8回) | AstraZeneca(本記事) |
|---|---|---|
| 計算基盤 | LillyPod を自社所有(NVIDIA GPU 1,016基、9,000ペタフロップス超) | 自社スーパーコンピュータの保有は公表されていない |
| モデル | 自社データで訓練し、TuneLabで無償開放 | 外部と共同開発し、対価を払う |
| データ | 10億ドル相当とされる自社データ | BIKG(生物学的知見ナレッジグラフ)、ゲノム研究センター |
| 外部との関係 | 買収(Ajax、Orna等)+少額出資(Absci) | ライセンス契約・共同開発(Tempus、Pathos、BenevolentAI等) |
| 思想 | 内製・囲い込み型 | 外部調達・提携型 |
本シリーズ第5回で扱ったTempus AIとの関係が、この戦略の象徴です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 参加者 | AstraZeneca、Tempus AI、Pathos AI |
| 内容 | 複数年にわたる戦略的協業。オンコロジーのマルチモーダル基盤モデルを構築 |
| 目的 | 生物学的・臨床的知見の収集、新規創薬標的の発見、治療薬の開発 |
| Tempusへの支払い | データライセンス料およびモデル開発費として2億ドル |
| 成果物の扱い | 完成したモデルは3者すべてで共有し、各社が個別に活用 |
| 関係の経緯 | 2021年に初協業、2023年にTempusのNextプラットフォーム導入で拡大 |
CEOのPascal Soriot氏が2026年6月に語った内容が、この戦略の狙いを最も明確に示しています。
同氏によれば、AstraZenecaは臨床データと実験室データを統合し、 第III相試験の成功確率を予測するエージェントを開発したとされています。 その意義について、1本の試験に3億〜5億ドルを投じている以上、 成功確率が上がれば生産性の改善は極めて大きいと説明しています。
Q2に発表された事業開発として、中国のDizalからZegfrovyの権利を取得する契約があります。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 一時金 | 6億ドル |
| 開発・規制・売上マイルストーン(最大) | 9億ドル |
| ロイヤルティ | Zegfrovyのグローバル売上に対する段階的ロイヤルティ |
| クロージング見込み | 2026年下半期(通常のクロージング条件および規制当局の承認が前提) |
この契約構造は、本シリーズで見てきたレイヤー3企業の提携と同じ形です。 一時金6億ドル+マイルストーン最大9億ドル=公表総額15億ドル。 実現率という観点では、一時金6億ドル÷15億ドル=40%が 契約時点で確定していることになります(編集部試算)。
第1回のRecursion(実現率約2.5%)、第3回のRelay(約3.7%)と比べると、 Dizalは圧倒的に有利な条件で契約していることが分かります。 これは資産の成熟度の差によるものです。 臨床で実証された資産は一時金の比率が高く、 探索段階のプラットフォーム提携は一時金の比率が低い。 レイヤー3企業の実現率の低さは、この構造から説明できます。
| 項目 | ガイダンス |
|---|---|
| 総収益成長率(CER) | 中〜高一桁% |
| Core EPS成長率(CER) | 低二桁% |
| Coreベースの税率 | 18〜22% |
| 為替の影響 | 2026年6月の平均レートが年末まで続けば、総収益に低一桁%のプラス影響(変更なし)。Core EPS成長率はCERとおおむね同様(変更なし) |
| 2030年の目標 | 総収益800億ドル |
ガイダンスは据え置き(reconfirm)です。 前回のLillyが売上・マージンともに引き上げたのとは対照的ですが、 Q2のCore EPSが+21%と大きく伸びていることを考えると、 据え置きは保守的な姿勢とも読めます。
なお同社はReportedベースのガイダンスを提供できないと明記しています。 理由は、買収関連負債の公正価値調整や無形資産の減損など、 重要な要素を信頼性をもって予測できないためです。 Reportedベースで評価しようとしても、会社自身が見通しを示せないという構造です。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 時価総額(ADR、NASDAQ) | 約2,630億ドル(2026年8月1日時点) |
| H1 2026 Core EPS | 5.21ドル(+12%) |
| Q2 2026 Core EPS | 2.63ドル(+21%) |
| 中間配当 | 1株1.06ドル(3セント増) |
| アナリストの見方 | Jefferiesは目標株価16,500ペンス(ロンドン上場ベース)でBuyを維持。UBSはBuy。Deutsche BankはSell。見方は分かれる |
時価総額はADR(NASDAQ上場)ベースの2026年8月1日時点の集計値です。同社はロンドン、ストックホルム、NASDAQに上場しており、算出元により数値が異なります。市場データは日々変動します。
| 項目 | AstraZeneca | Eli Lilly |
|---|---|---|
| Q2 総収益 | 153億8,400万ドル | 229億7,400万ドル |
| 売上成長率 | +6%(CER +5%) | +48% |
| 粗利率 | 84% | 86.3%(Non-GAAP) |
| 営業利益率 | Reported 21% / Core 34% | 39.1% |
| R&D費/売上高 | 23%(H1 Core) | 17% |
| 時価総額 | 約2,630億ドル | 約1.08〜1.09兆ドル |
| AI戦略 | 外部調達・提携型 | 内製・囲い込み型 |
| 肥満症 | elecoglipron 第III相6本開始 | Mounjaro+Zepbound で四半期148億ドル |
時価総額はLillyの約4分の1、成長率は8分の1。 両社は「大手製薬」という同じ括りにありながら、 市場からの評価はまったく異なります。
ただしAstraZenecaには、Lillyにない特徴もあります。 疾患領域が5つに分散しており、単一薬効群への依存度が低いことです。 Lillyは売上の約65%がインクレチン系2製品に集中していました。 分散は成長率を抑える一方、1つの領域で問題が生じたときの耐性を高めます。
Q2までに読み出された6本のうち3本が主要評価項目未達でした。 CARDIO-TTRansform(Wainua、ATTR心筋症)、 EMERALD-2(Imfinzi、術後補助療法肝細胞がん)、 TMA-313(Ultomiris、成人HSCT関連血栓性微小血管症)。
CEOが「失望している」と明言するほどの結果です。 今後18か月で20件超の読み出しが控えているということは、 成功と失敗の両方が今後も続くということでもあります。
Q2の中国売上は▲13%。VBP(量産調達)と後発品競争が要因です。 中国は同社にとって第2の市場であり、影響は小さくありません。 政策変更のタイミングと対象製品は同社の制御外にあります。
Farxigaの米国独占期間終了が既に業績を圧迫しています。 経営陣が「FarxigaとBrilintaを除けば基礎的成長は11%」と説明していることは、 裏を返せばこの2製品が成長率を5ポイント押し下げていることを意味します。
Reported営業利益は▲10%、Core営業利益は+12%。 この差を生む無形資産の償却は、 Alexion買収などに由来する継続的な費用です。 同社がReportedベースのガイダンスを提供できないと明記していることは、 投資家がReportedベースで将来を見通す手段が限られていることを示します。
elecoglipronの第III相を6本開始したのはQ2です。 一方Lillyは既にMounjaroとZepboundで四半期148億ドルを計上し、 次世代のretatrutideも2027年Q1に申請予定。 Novo Nordiskも同市場を支配しています。 AstraZenecaが参入する頃には、市場の主要な位置は既に埋まっている可能性があります。
2026年8月初旬、AstraZenecaとBristol Myers Squibbが 4,000億ドル規模の統合について初期段階の協議を行ったと複数のメディアが報じました。 その後、投資家の反発により協議は頓挫したとも報じられ、 この報道を受けて株価は6%上昇しています。
CFOのAradhana Sarin氏は、イランでの紛争が物流・流通費用を押し上げたと述べています。 100か国以上で事業を展開する企業として、 地政学リスクが直接コストに反映される構造です。
Tempusへの2億ドル、BenevolentAI、Pathos、Nucs AIとの協業。 いずれも成果が財務数値に直接現れる形になっていません。 「第III相の成功確率が上がった」ことを外部から検証する手段は、 実際の成功率の推移を長期間追跡する以外にありません。 投資の妥当性は、少なくとも数年単位で判定を待つ必要があります。
レイヤー4の2社を分析し、大手製薬のAI戦略に2つの異なる流儀があることが明確になりました。
| Eli Lilly ― 内製・囲い込み型 | AstraZeneca ― 外部調達・提携型 | |
|---|---|---|
| 計算基盤 | LillyPodを自社所有(GPU 1,016基) | 自社保有は公表されていない |
| モデル | 自社データで訓練、TuneLabで無償開放し外部データを集める | Tempus・Pathosと共同開発、2億ドルを支払い、成果を3者で共有 |
| AIの用途 | 創薬プロセス全体の加速 | 第III相の成功確率予測(試験の取捨選択) |
| 外部企業との関係 | 買収(Ajax、Orna等)または少額出資(Absci) | ライセンス契約・共同開発(Tempus、BenevolentAI等) |
| レイヤー3企業への意味 | 競合(自社でモデルを作り無償配布) | 顧客(対価を払う相手) |
これが、レイヤー4を2社見て初めて立てられる問いです。
AstraZeneca型が広がれば、レイヤー2〜3企業には収益機会が生まれます。 Tempusが2億ドルを受け取ったように、データとモデルに対価が支払われる。 第5回で見たTempusのNRR 126%は、この構造の産物です。
Lilly型が広がれば、レイヤー3企業の存在意義は問われます。 大手製薬が自社データで自らモデルを作り、それを無償で配って改善させるなら、 外部のAI創薬企業に高い対価を払う理由が薄れます。
現時点では両方の流儀が並存しており、 どちらが主流になるかを判定できる段階にはありません。 ただし投資家として押さえておくべきは、 レイヤー3企業への投資は、 「大手製薬がAstraZeneca型を選び続ける」という前提の上に成り立っているという点です。
本記事の立場は、強気でも弱気でもありません。 Core EPS +21%、Core営業利益率34%(+2pt)、がん領域+15%、 30件の承認という数字は、事業の実力を示しています。 「今後18か月で20件超の高価値な読み出し」というパイプラインの厚みも、 同社の強みです。
同時に、Reported営業利益は10%減少しており、 Q2までの第III相6本中3本が主要評価項目未達、 中国は▲13%、 2030年に800億ドルという目標には4年で約30%の成長が必要です。
今後18か月の20件超の読み出しが、どの程度成功するかが判定材料になります。 そしてその成功率こそが、 Tempusへの2億ドルを含むAI投資が機能しているかを測る、 最も直接的な指標になります。 投資判断を下すのであれば、 「Reported営業利益は▲10%」「第III相6本中3本が未達」「中国▲13%」という 3つの事実を織り込んだうえで行う必要があります。
AstraZeneca(AZN)― 今後の注目点